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東京高等裁判所 昭和33年(う)1758号 判決

被告人 中村正次郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

弁護人の控訴趣意第三点及び追加控訴趣意について。

偽証罪は法律により宣誓した証人が虚偽の陳述をなしたとき成立する。ここにいう虚偽とは真実に反することを指称するものであるところ、証人は「良心に従つて真実を述べ」る義務を負うから、その真実は証人の誠実なる主観的記憶を基準として判断すべきものであつて、即ちその陳述が虚偽であるか否かは、証人の陳述そのものがその証人自身の認識、記憶に符合しているかどうかによつて定めるべきものである。従つて証人がその認識、記憶するところと異ることを故意に陳述したときは、仮りにその陳述にかかる事実が偶々真実に符合していたとしても虚偽の陳述をしたものとして、偽証罪が成立するのである。

(大審院大正三年四月二十九日判決刑事判決録二〇輯六四五頁同明治四十二年六月八日判決同判決録一五輯七三五頁参照)又偽証罪は、証人が故意に虚偽の陳述をなしたとき直ちに成立するのであつて、その陳述が当該事件の裁判の結果に影響を及ぼす虞ありや否やは同罪の成立には何らの消長を及ぼさない。

(大審院昭和九年二月二十二日判決刑事判例集一三巻一四九頁同昭和十年一月三十一日判決同判例集一四巻四四頁参照)蓋し偽証罪の法益は国家の審判権の適正な行使にあるのであるから、証人がその認識、記憶に反する虚偽の事実を故意に陳述するときは、裁判を誤らせる抽象的危険を常に包蔵しているからである。原審において被告人が証拠とすることに同意し、適法に証拠調をなした上、原判決が証拠に引用している口頭弁論調書、被告人の証人尋問調書及び証人宣誓書の各謄本によれば、被告人は原判示民事法廷において、法律により宣誓をした上「甲第一号証ノ三(本件承諾書を指称す)は地主深井の承諾書で、ここにある印は深井のものです。地主のところには池田が印を貰いに行きました。」と証言していることが明らかである。しかして右の承諾書に押捺された深井名義の印は真実深井嘉平の印ではなく、被告人が有合印を押捺したものであることは前段記載の如く被告人の認めているところであるから、被告人は前記民事法廷においてもその旨当然十分認識していたものというべく、しかるに被告人はその認識、記憶に反し、前記の如く印は深井のものです云々と証言した以上、とりもなおさず被告人は、虚偽の陳述をなしたものであつて、その陳述により直ちに偽証罪が成立することは多言を要せず、かつその陳述により裁判を誤らせる客観的、抽象的危険のあることも明らかであるといわなければならない。所論は、本件承諾書は、法律上全く不用の文書であるから、右民事訴訟において裁判所が真正なものと誤信したとしても裁判の結果に影響することは客観的にあり得ないし、又裁判の内容、結果に無関係な証言であるから、裁判を誤らせる抽象的危険もないと主張するが、なるほど右承諾書は法令上その作成、添付を要求せられた文書でないことは前段認定のとおりであるけれども、それだからとて直ちに、右証言が裁判を誤らせる危険が皆無であるということはできない。又仮りに所論の如く右承諾書の作成について、被告人が深井の承諾を得ていたとしても、或は作成権限があるものと誤信していたとしても、これらの事由は偽証罪の成否には何らの消長を及ぼすものではない。

次に所論は、原判決は「前示承諾書が偽造のものであるのにかかわらずこれを深井嘉平が作成した真正のものである旨虚偽の陳述をなし」と判示したのみで、被告人が自己の認識に反して陳述したとの点について判示するところがないから、原判決は理由不備であると主張する。なるほど原判決には所論の如き記載のないことは明らかであるが、その判示自体に徴し、被告人自らが偽造したという認識に反し、深井が作成した真正なものであるとの虚偽の陳述したとの事実を判示したものであることが明らかであり、又その事実はその挙示する証拠により明認できる以上、特に所論の如き辞句を記載しなかつたからとて、構成要件該当事実の判示を逸脱した理由不備の違法あるものとはいえない。

更に所論は、原審第一回公判期日に被告人は「起訴状記載のような嘘のことを言つたことは間違ありません」と述べているが、ここにいう嘘は客観的事実に反することを意味し、自己の記憶に反する事実を意味するものではないから、右の外に被告人が自己の記憶に反する事実を意味するものではないから右の外に被告人が自己の記憶に反して虚偽の陳述をしたとの趣旨を窺わせる証拠のない本件において、被告人に有罪の言渡をなした原判決は理由不備の違法たるを免れないと主張するが、所論の被告人の供述記載を起訴状の記載と併読すれば、(嘘という言葉の意味がいかにあろうとも)所論公判期日において、被告人は起訴状記載の如き事実即ち自己の認識、記憶に反するその記載の如き事項を陳述したことは間違ないと供述したものと認められるから、これを被告人の自白と認めるに何らの違法なきのみならず、前段記載の如き証拠をも併せて被告人の偽証行為を認定した原判決には何ら所論の如き理由不備の違背は存しない。

その他記録を精査するも、原判決には所論の如き事実誤認、法令違反、理由不備の違法はない。論旨はすべてその理由がない。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 三宅富士郎 原増司 井波七郎)

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